What’s東東京
東東京――東京の東側のエリア、「イースト・トーキョー」。東京の下町として、歴史ある老舗や江戸の風情を残す観光名所が注目されてきたこのエリアに、いま次々と高感度なギャラリーや雑貨店、センスあふれる飲食店がオープンし、若いクリエイターが集まってきています。人々を引き寄せるその魅力は、江戸時代から続く「モノヅクリ」のちからと、それぞれのエリアが育んできた独自の歴史にあるようです。
「東東京」の歴史とモノヅクリ
一般的に「東東京」といわれるのは、台東区、墨田区、江東区、足立区、江戸川区、葛飾区、荒川区の城東7区。城東とは、現在の皇居から東側の地域を指す言葉です。
台東区、墨田区や江東区の西側は、江戸時代には大名家の下屋敷や寺社が集中していた、由緒正しい地域。江東区は昭和12年に、当時の深川区と城東区が合併して誕生したエリアです。江戸時代の本所深川といえば、水利を生かし物流・工業で大いに栄えた江戸の中心部でした。今は2020年の東京オリンピック開催にむけて、急ピッチで湾岸エリアが開発され、大規模マンションの建設も相次いでいます。
相撲・花火・博物館・東京スカイツリーと、下町らしい観光名所が目白押しの墨田区。このエリアは江戸時代から続く職人の街で、近代工業発祥の地ともいわれます。隅田川の水利を生かした地場産業から発展し、多くの工場が誕生。都心の消費者のニーズに応えるために、様々な技術が育まれてきました。
江戸川区、葛飾区、荒川区、足立区もまた、戦前から工業地として発展してきたモノヅクリの街です。墨田区と同じく個性的な小規模工場が多く、葛飾区では「あらゆる製品や部品の製造・加工がすべて葛飾区で完結できる」といわれるほど。2013年には東京理科大学が誘致され、モノヅクリとの産学連携が期待されています。
「東東京」から生まれるムーブメント
東東京への人の流れやイメージも、いま大きく変わろうとしています。明治時代には東京初の都市公園ができ、第二次世界大戦後には映画の街としてにぎわった浅草。しかし60年代に入ると、TVの普及により映画館が閉館。日本は高度経済成長時代を迎え、東京の中心は渋谷、新宿、池袋など西の方に移っていきました。ところが平成の世になり、日本社会の成熟化が進むにつれて、昭和を懐かしむ人々が増え、メイド・イン・ジャパンの見直しが進みます。ゼロ年代の後半からテン年代にかけては、昔ながらの町並みや人のつながりが残っている谷根千(台東区、文京区)、カチクラ地域(台東区)の人気が高まりました。
2012年5月22日には、墨田区押上に東京スカイツリーが開業、東東京エリアに新たなランドマークが加わります。江東区豊洲が高級ベッドタウン化し、東京都現代美術館や清澄庭園周辺の清澄白河エリア(江東区)には、サードウェーブコーヒーや感度の高いギャラリー、雑貨店が急増しています。
大学の誘致が進む北千住は、駅ビル、ファッションビルなどの商業施設が集まり、住みやすい街として人気に。地下鉄の乗り入れが便利になり、銀座や東京にも出やすい、家賃が比較的安いといった理由から、東東京に拠点を持つ若いファッションブランドや編集者、カメラマン、アーティスト、ショップオーナーが増え、モノヅクリの街の技術力の応援を得て、次々に新しいムーブメントが生まれています。
古き良きものと、新しいものが東東京で起こす化学変化は、これからますます面白くなっていくはず。 「東東京モノヅクリ商店街」の活動にも、乞うご期待。