明治22年に、染色に必要な水源が豊富であったことから葛飾・梅田村(現在の立石)の地にて創業。以来、晒屋として半股引(はんだこ)、浴衣生地、生地の晒しと染色など時代とともに様々な製品づくりを手がけてきた。和装が斜陽化し、浴衣の海外生産が増え、晒しの仕事がなくなり、進出したカットソーの仕事も国内の産業空洞化の煽りもうけ本社工場をやむなく閉鎖。
伝統文化を継承させていきたいという想いは消えることなく、工場の売却資金を使い、手ぬぐいの注染を体験できる「てぬクリ工房」や店舗が入った東京和晒創造館を設立。現在は、手ぬぐいづくり文化の向上を通して、これまで育んできた伝統文化をより多くの方に直接伝える活動を広げている。
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