文京区白山。製本業者や印刷業者が立ち並ぶエリアに、新里製本所の本社兼製本工場がある。敷地内には複数の機械が置かれ、紙の塊のように見えた物体はラインが進むにつれてカバー付きの辞書へと姿を変えていく。
「1934年にウチの祖父が事業を興しまして、すっとこの地で製本業を営んできたんですよ」
そう教えてくれたのは、3代目を務める代表取締役社長の新里知之さんだ。新里製本所は製本の中でも上製本(ハードカバー本)に特化しているのだという。
「ごく少数を手作業で製本するところをのぞき、上製本のラインを持っている工場は日本全国で30を切ったと聞きました。設備導入には億単位の費用がかかるため、今日の出版業界の市場動向を考えると新規参入しようとする人はいないでしょう。それに技術やノウハウも必要ですので……。だから上製本について、私はよく『絶滅危惧種』だと呼んでいるんです」
事業売上の大勢を占めているのが、出版社や印刷会社からの受託製造だ。一般消費者向けの小説や写真集、専門誌、辞典などのほか、利用者が限定される社史、記念誌、自分史などが対象。高単価の製品を小ロットで引き受けるケースが多いという。
新里さんは25歳のときに入社し、2017年に現職に就任。それ以来、経営を安定させるための新しい道を模索しはじめた。
「全盛期と比べると、製本業者全体の数は1/4ほどに減りました。でも、もっと減ると思っています。高度経済成長期と比べれば現在の経済状況は大きく変わりましたし、デジタルへの移行も進んでいます。仲間内からは『なかなか戻らないね』という話も出てくるのですが、製本業が最盛期と同じレベルに戻ることはないだろうし、長いスパンで見れば半世紀前の活況が特殊だったのだと考えています」
製本業の技術や設備といった資産を有効活用できる、新しい事業とは? 様々な人や場所に可能性を探し求めた新里さんにひとつの光明をもたらしたのが、日暮里の問屋街で見つけた無数の服飾生地だったという。
「使われている素材も色も多彩ですよね。服飾品への使用を前提とした生地ですけど、ウチならそれを本のカバーにできると考えたんです」
アパレルやテキスタイルのメーカーからアプローチあり、生地の新しい販路になると良好な反応を受けた。2021年にファクトリーブランド「HONcept」を設立し、シーズン限定で制作した独自生地やウェディングドレスの生地など、既存の出版業界では扱われてこなかった生地を上製本の表紙にした。
「中面がシンプルなドットのノートとして製品化しました。二子玉川の蔦屋家電で販売デビューしたときも、出展したギフトショーでも予想以上の反応があり、多くの方から引き合いをいただきました」
新里さんの挑戦心は「HONcept」事業に留まらない。
2022年に立ち上げたブランド「coucou-lim」では、切り絵での御朱印やスポーツ選手サイン紙の企画または販売、さらにそれを収めるアルバム展開など、
新里製本所で培ってきた紙の加工技術を発揮して他との差別化を図っている
また、ビジネスパートナーとともに新商品の開発やブランディング戦略を進めるnewllege事業も発足。壁紙を表紙に使った本型のインテリアグッズやノベルティグッズの制作など、幅広いサービスを展開している。
「製本業って基本的に頼まれ仕事なんですね。出版社や印刷会社からの注文が入らなければ仕事ができない。出版事業が右肩下がりになっている今、待っているだけという立場が辛すぎたというのが新規事業立ち上げの原動力でした。ブランドを作れば展示会に出たり百貨店さんから声をかけていただいたり、自らが矢面に立てる。そこが大きいんです」
新里製本所が次々と新しい試みに挑めているのは、経営者である新里さんの行動力やマーケターとして資質によるところが大きい。「すべて独学」とのことだが、名著とされる経営やマーケティングの本はあらたか読了。関東圏にあるショッピングモールの規模感やユーザー層を理解し、消費者の特性ごとにどのような商材が興味対象となりえるのか、大概は把握できていると新里さんは自信を覗かせる。
「『HONcept』製品は、売上を求めるよりも今はブランディングを固める時期。高感度なブランドが集まる蔦屋家電で販売したり、高所得者が集まるホテルのイベントに出品したりと、戦略性をもって進めています。当社はメーカーで、それも“メイドイン東京”なのが企画だけの会社との大きな違いです。私からしたら普通のことでも、知らない人からすれば『そんな製品が作れるの!?』と驚かれることも多いんです。大切なのはトレンドを見極め、魅力的な“点と点の結びつき”を実現していくこと。アイデアは湯水のように湧いてくるので、順次形にしていきたいと思っています」
東東京モノヅクリ商店街に参画した目的はビジネスに役立つ新たな刺激を得ることと、自社の認知を拡大することだと新里さんは述べる。プロジェクト関係者と相談を重ね、同じ文京区にある染屋と協業して“メイドイン文京区”のノート作りを進めているという。
「出版社や印刷会社からの受託製造は売上の8割を占め、残り2割が新規事業です。今後はもう少し新規事業の売上を高めていきたいですが、この先に広がる道は無限にあるので、どこをたどっていくかはわかりません。行った先で違うものが見えて、また別の道に進む可能性もありますしね。ただ、いつも心にあるのは、多くの人を楽しませたいという想いです。もちろん会社だから売上は出さなきゃいけないんだけど、それはあとからついてくるんじゃないかと思っているんです」
人を楽しませたいという想いの下、時代の変化に柔軟に対応していこうとする新里さん。その想いがあり続ける限り、新里製本所のラインが止まることはなさそうだ。