東京スカイツリーのお膝元である墨田区押上。古くから続く老舗と起業したてのモダンなお店が同居した街に、東京石鹸堂の本社および手作り石けん教室「Ciao soap」のスタジオがある。開放的なガラスの引き扉を抜けた先には8名ほどが座れる大きな木製テーブルが置かれ、壁面には科学実験で使われるようなビン入りの薬剤やオイルが並んでいる。
「この場所に引っ越してきたのは2022年6月ですが、石鹸教室は10年以上やっていて、受講者数はのべ1万7000人を超えました」
そう話してくれたのは、代表の玉置寧子さん。ここで「Ciao soap」を主催するとともに、コールドプロセスソープディレクターやシニアオイルソムリエといった肩書も持ち合わせる人物だ。
「石鹸作りは個人使用のために作り始めました。『オリーブオイル、苛性ソーダ、水の3つだけで作れる』と書いてある本を呼んで驚き、実際に作ってみたら思いの外使い心地がよくて」
当時は設計事務所に在籍し、日々激務に励んでいたという玉置さん。疲労やストレスから肌荒れやできものに悩まされていたが、手作り石鹸の効果は予想以上だったとか。もともとモノヅクリが好きだったこと、『無添加』『自然素材』といったものと親和性が高かったことも後押し。石鹸作りが興に乗るうち販売することも頭をよぎったが、薬機法の関係からハードルが相当高いことを知った。
「『それなら教室はできるのかな?』と考えたんです。ちょうど会社を辞めたタイミングで、せっかくなら誰もやっていない分野にチャレンジしたいと考え、石鹸作り教室を主催する道に進みました」
石鹸作りに関する知識を深め、2010年にカルチャースクールの講師に登録。さらには自宅で教室を開いたり、知り合いのカフェで定期講習を行ったりと実績を積み、2014年に東京・練馬区で手作り石けん教室「Ciao soap」を本格始動させる。
「順調にやっていたのですが、コロナ禍になってしまいました。まとまった時間が取れたので、以前から検討していた製造販売事業にも着手しようと考え、製造設備を設けて化粧品製造販売業許可を得られる物件を探し始めました。そこで見つかったのが、この押上でした」
薬剤師であった実父に総括製造販売責任者になってもらい、手続き上の問題をクリア。無事、製造販売業を開始した。
「すぐに売れるわけでないとは、わかっていました。でも、ホームページやInstagramに商品情報のほか『OEMも承ります』と記載したところ複数の企業さまから問い合わせがありまして。教室の生徒さんからもオリジナルの石鹸を望む声があり、OEM事業が拡大してきてくれました」
現在の売上構成比は、手作り石鹸教室が6割、オリジナルの製造販売およびOEMが4割とのこと。ゆくゆくは後者の事業をより大きく成長させ、3:7くらいの割合にしたいという。
玉置さんの手作り石鹸教室が人気を博し、OEMに多くの希望者が現れたのは、コールドプロセスという特殊な製法で作っていることも大きい。
一般的な固形石鹸はホットプロセス製法を採用し、高温下で化学反応を促進させることで大量・安価・迅速に生産できる半面、肌に必要な油分の良い面を損いやすいという欠点がある。一方のコールドプロセス製法は、常温下で時間をかけて化学反応を自然発生。時間や作業の手間がかかるものの保湿成分が高く、原料に使った天然オイルや植物由来成分のよさをそのまま残しやすいというメリットがある。
「石鹸の主成分は油。加熱をすると油は劣化のリスクに晒されます。やはり加熱する前のほうが植物油は肌に良いものをたくさん持っていますから。コールドプロセス製法の石鹸は保湿効果のあるグリセリンが副産物として生成されて含まれており、ホットプロセス製法で作られた石鹸にはない洗い心地を味わえるんです」
さらに玉置さんの教室では、もっと保湿感をアップさせたり、自家製ハーブを入れたり、好みのアロマを配合したり、自然素材で着色してユニークなデザインに仕上げたりと、多様なニーズにあふれているという。
「すごく奥深い世界。アロマテラピーやハーブ、オイル、石鹸を切った断面に描くデザインを作り上げる3次元的なイメージなど、多種多様な知識も生かせる複合分野だと思っています」
石鹸作りへの飽くなき探求心は、主原料であるオイルにも向く。オリーブオイルの産地であるスペインにわたって現地のプロから直接薫陶を受けたり、日本オイル美容協会のシニアオイルソムリエに認定されたりと、オイルについての知見も深めていったという。
「たとえば料理教室でも、ただレシピを伝えるだけでなく、『なぜその産地で作られた調味料がいいのか』まで教えられたほうがいいじゃないですか。それでオイルについても調べ始め、すっかり“オイルオタク”になってしまいました。おそらくここまでオイルについて掘り下げている石鹸教室は、他にないと思っています」
現在ほど手作り石鹸教室が存在しない黎明期から行っていたという事実も、「Ciao soap」に募集する生徒が尽きない理由だ。
東東京モノヅクリ商店街に参画したのは、オリジナル製品のパッケージデザインをブラッシュアップしたかったからだという。
「これまで、私自身がデザインしてきたんです。ちゃんとプロの方に入ってもらって製品周りのデザインを強化し、ブランディングも確立していきたいと考えています」
コールドプロセス製法で作られた石鹸の認知は未だ低く、高いポテンシャルを秘めていると玉置さんは見ている。
「強気な価格設定でハイブランド化を図るところもあるようですが、うちはより多くの方に喜んでもらえるよう墨田区価格でご提供していければと考えています。オイルのブレンドなど、作り方によってはニッチなニーズをとらえた製品化も可能で、まだまだやれることはたくさんあると感じています」