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まじめで真剣。実直なモノヅクリの姿勢で、匠の技を継承する。|大関鞄工房

Update: 2019.12.23|CategoryTOPICS, よみもの

墨田区・両国のほど近くにある、大関鞄工房。十数年前、土地開発によって新設された高層マンションの一階へと工房を移設し、5名ほどのカバン職人とスタッフが従事している。

移転を期に、カバンの販売と修理受付を行う小売店舗を新設。1坪ほどの店内には、オリジナルブランド「スクイーズ」のカバンや財布が所狭しと置かれている。

 

大関鞄工房は、1963年に創業した鞄メーカーだ。創業者の大関繁氏は鞄問屋に十年務めた後、メーカーとして独立した。

「作った矢先に売れていくような時代だったそうですね。父はいろいろな職人の元を尋ね回り、鞄作りを学んでいったそうです」と、伝え聞いていた当時の様子を話してくれたのは、初代の次男である取締役の大関勉さんだ。兄で現代表の大関敏幸さんと兄弟二人三脚で会社を守り立てている。

 

大関鞄工房は鞄や財布の製造を主事業としている。売上の8割がOEM生産で、誰もが知る有名ブランドの製品も数多く手掛けている。

残り2割は、オリジナルブランド「スクイーズ」だ。シンプルで使いやすい皮革製品が中心で、2007年のスタート以来女性を中心に支持を拡大。店舗での販売のほか、百貨店での催事やインターネットで販売している。

「まじめに、真剣に、モノヅクリに取り組んでいます。そこだけは、自信を持っていえるところですね」

工房にはクリッカーと呼ばれる革の型抜き機を2台備え、多種多様なミシンや革漉き機など、充実した設備を備えている。そこで生地の切り出しから縫製まで、熟練職人が一気通貫して手掛けることで、品質に優れた製品を生み出している。

 

鞄製造は、海外生産によるコストカットの影響を顕著に受けた業界だ。80年代後半から職人の一人として働きはじめた勉さんも、入社まもなく厳しい時代になったと述懐する。

「90年代はじめまでは高級鞄といえば革製品でしたが、90年代に入るとナイロンなど安価な布帛製品の割合が増えましたし、バブル崩壊や海外生産の拡大などもあって周りの鞄屋さんがバタバタと倒れていってしまいました」

大関鞄工房も経営が悪化したが、現在に至るまでメイド・イン・ジャパンの鞄屋としての存在を貫けたのは、職人としての技術力に秀でていたからこそだ。

「その当時から同型の製品を大量に生産のではなく、職人の手でないと表現できないような細かな縫製やあしらいをメインにしていたため、幸いにも注文が途切れることはなかったのです」

品質が求められる仕事に応え続けてきたことで、大関鞄工房は鞄屋としての信頼を向上。磨かれた技術の粋は「スクイーズ」にも宿っている。

 

「日本のモノヅクリの力を継承していくには、下町のメーカーが元気よく仕事し、お客さんに喜んでもらえる場や機会を増やしていかなければなりません」

そうした想いから、大関鞄工房では2カ月に1回の頻度で子供向けワークショップを開催。小さな鞄や財布を自分で作れると話題になり、関西方面から足を運んでくる参加者もいるほどだ。

また他社製品も含めた修理業も行っている。詳細な仕様がわからないため修理には実に多くの時間と労力が費やされるが、縫製や素材についての新たな知見も手に入るし、ユーザーの声を直接聞ける機会を得られたのも大きなメリットだという。

 

東東京モノヅクリ商店街へは、自らの殻を打ち破り、さらなる成長を促す機会のひとつとして参画。いつもは最初からキレイな発色をした革を使うことが多いが、今回は使うほどに味わいが増すタンニンなめしの革を起用し、皮革メーカーと協業してこれまでにないタイプの革小物を企画している。

「今後も、こうした挑戦をし続けていきたいですね。インターネットでの販売やブランド力の向上も強め、企業としての魅力を広げていければと考えています」

INFORMATION

大関鞄工房

〒130-0021 東京都墨田区緑2丁目13−13−5

電話: 03-5669-1408